もっと知りたい時計の話 Vol.18

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

皆さんは、人類にとって、時計の元祖ともいわれるモノとは何かご存知でしょうか。それは英語で「sundial(サンダイヤル)」、つまり日時計です。古い言い方では日晷儀(にっきぎ)とも呼びます。「晷(キ)」とは中国語で日陰のこと。古代中国ではこの字は影とともに、日時計のことも意味していました。

日時計は、太陽の日周運動で起きる太陽光の角度の変化、つまり太陽の「時角」の移り変わりから時刻を定める装置。地面に立てた投影棒(gnomon=ノーモン:グノモンとも読みます)に太陽光が当たるときにできる影を利用し、太陽の高さとその高さが最も高くなる時を「正午(昼の12時)」として、その影の位置の変化から時刻を読み取ります。

日時計が使われ始めた時期についてはさまざまな説があります。紀元前7000年前から紀元前5000年前にエジプトでという説。紀元前4000年前後にメソポタミアの古代バビロニアでという説。いずれにせよ、世界四大文明が興った地で開発され、何千年も前から使われていたことは間違いありません。旧約聖書の「イザヤ書」第38章の中にも「日時計の影を10度戻した」という記述がありますし、中国でも紀元前2300年頃には使われていたという記録があります。その後、古代ギリシャ、古代ローマの天文学者たちの手で日時計の基本的な理論と技術が確立されたとされています。


光あるところに必ず影はできます。(古代の人々は、自分の影を観察していて、日時計を思いついたのかもしれません)

日本の公文書に登場する最初の日時計は、奈良時代に遣唐使として中国の唐(618〜907)に留学していた、後の右大臣・吉備真備(きびのまきび)が735年に帰国する際に持ち帰ったという「測影鉄尺」です。真備は手塚治虫さんの長編傑作漫画『火の鳥 鳳凰編』にも当時の最高権力者・橘諸兄(たちばなのもろえ)のライバルとして登場していて、物語の主役のひとりでもある彫刻師の茜丸に東大寺大仏殿の設計とプロデュースを任せるという役割を演じています。また、真備は日本の陰陽道の祖とも言われる人でもあります。

日時計は太陽が出ているとき、つまり晴れの日の日中にしか使えません。そこでその欠点をカバーする、つまり夜間も時刻を知るために水時計(漏刻)などが使われました。この水時計の話も、日本や世界の時計の歴史を語る上でとても面白いのですが、これはまた別の機会にしたいと思います。

日時計は人類が最初に開発して使い始めた最古の時計であるけれども、13世紀に機械式時計が発明されると「過去の遺物」になってしまった。そう思っておられる人が多いと思います。ところが日時計は機械式時計の時刻を校正するため、日本では明治時代以降も広く使われていたのです。

1885年(明治18年)6月12日に「郵便物逓送時計取扱規則」が制定されます。そして全国の郵便局に「正午計」という日時計が配られました。この規則は正確な時間に郵便物の配達を行うために、郵便配達人に懐中時計の携行を義務付けたものでした。しかし当時の懐中時計の精度は低く、実は日時計を使って昼の12時を定義していました。太陽の高さがいちばん高くなったときが正午です。このとき、懐中時計の針を12時に合わせることで、時計の時刻を正確に修正することができたのです。

設置場所の緯度や経度を考慮した計算式に基づいて精密に作られ、きちんと設置された日時計の精度は驚くほど高いのです。かつて上野の国立科学博物館に展示されていたという(残念ながら現在はありませんが)超精密日時計の精度は何と時差4秒(=日差48秒)。現在の機械式腕時計に劣らぬ高精度です。


杉並区立第七小学校の精密な日時計は緯度経度を精密に計算して設置されています。プレートに刻まれた太陽の高さの季節による変動を考慮することで時刻を正確に補正することができます。

そして、日本は海外から「日時計王国」と呼ばれる国です。なぜそう呼ばれるのでしょうか。それは「日時計王」と世界から讃えられる日時計の研究家が日本に居たからです。

その人の名は小原銀之助(おはら・ぎんのすけ)。美術評論家だった小原氏は1948年に日時計の独自研究を開始して最初の日時計、5分刻みの精密日時計を完成させ、東京学芸大学小学校に設置します。1983年に84歳で亡くなるまで、400基を超える精密日時計を完成させ、日本国内はもちろんアメリカ、中国など世界4カ国に設置するなど、彼は「日時計王」として製作を続け、ギネスブックにも掲載されました。国立科学博物館にあった時差4秒の超精密日時計も小原氏の作品です。

現在は銀之介氏の娘である日時計作家・小原輝子(おはら・てるこ)さんがその遺志を継いで、この分野の第一人者として精密日時計を製作。兵庫県明石市天文科学館など、国内70を超える場所にその作品が設置されています。またそれ以外にもさまざまな企業や人が日時計を製作していて、日本全国のさまざまな場所に日時計が設置されています。小原氏の地元である相模原をはじめ、全国の公園や学校、公共施設には、卒業生やPTAが学校に贈るモニュメントとして精密な日時計を設置しているところも少なくありません。


杉並区立第七小学校の“精密日時計”は朝礼台の横の台座に設置されています。

こうした日時計がある学校は日本全国に多数存在します。つまり現在も日本は「日時計王国」。 あなたの近くにもきっとある、そんな精密な日時計を一度、探してみては?