もっと知りたい時計の話 Vol.19

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

今回は、鉄道と時計の「親密な関係」についてのお話です。新橋と横浜(現在の桜木町)の間を日本最初の鉄道が正式に営業を開始して「一号機関車」と呼ばれるイギリス製の蒸気機関車が客車を引いて走り始めたのは1872年(明治5年)10月14日。実は品川と横浜の間では、それより5か月前の5月7日から「仮営業」というかたちで運行が始まっていました。

そしてこの路線で「一号機関車」を運転した機関士(運転士)たちは、懐中時計を携帯して列車を運行していたはずです。なぜなら彼らはイギリスから来たいわゆる「お雇い外国人」で、当時のイギリスと同じやり方で列車を運行していたからです。ただ具体的に、それがどんなブランドのどんな懐中時計だったのかはわかりません。そして、彼らが時計を持って乗務していた最大の目的は「運行の安全確保」でした。

いつの時代どこの国でも、鉄道ではすべての列車が、同じひとつの正確な時刻に基づいて運行されています。なぜなら、同じひとつの時刻に合わせてダイヤ通りに運行しないとすぐさま、列車同士の衝突、追突などの大事故につながるからです。

しかも日本最初のこの鉄道は、今のような複線や複々線ではなくて単線。つまり「上り」と「下り」の列車が、同じ1組のレールの上を走る方式でした。単線を使った列車の運行では、上り列車と下り列車は、途中の駅で必ず反対側から走ってくる列車を待って、上り列車と下り列車が必ず入れ替わってから、反対方向の列車がこれまで走ってきた同じ線路を運行することになります。

この単線の鉄道路線でもし、上り列車と下り列車が途中の駅で入れ替わらず、そのまま走って運行を続けたら必ず正面衝突の大事故が起きてしまいます。また上りと下り列車の片方でも、もし途中駅への到着が遅れたら、反対方向の列車は必ず遅れた列車の到着を待って出発しなければならないので、両方の列車が遅れてしまうことになります。

この「絶対に起きてはいけない」列車同士の大事故は実際に世界中で、また日本でも起きています。そして、こうした事故でもっとも有名なのが1891年4月19日、アメリカ・オハイオ州で起きた「キプトンの悲劇」と呼ばれる正面衝突事故です。それぞれの列車の機関士と9人の乗員の合計11人が生命を落としました。

当時の懐中時計は非常に高価な上に、精度も耐久性も充分ではありませんでした。事故を起こしてしまったレイクショア&ミシガンサザン鉄道は、当時宝石商として高精度の懐中時計を販売していたウエブスター・クレイ・ボールを監督検査官に任命して、この事故の原因調査を依頼します。彼は事故の原因が、片方の列車の機関士が使っていた懐中時計が4分間も遅れていたことを突き止めました。そして鉄道事故を防ぐために、鉄道の運行に従事する人々が持つ懐中時計に厳格な精度や機能の基準を課し、時計の精度を定期的に検査することを提案します。

そして生まれたのが「レイルロード・アプルーブド」と呼ばれる懐中時計の精度品質基準でした。そして世界各国もこの提案に沿って、この基準をクリアした、より精度の高い懐中時計を使うことにしました。これにより「鉄道時計」が誕生したのです。


左)レイクショア&ミシガンサザン鉄道が1891年にボール氏を「時計検査主任」に任命した通達書。右)1921年にアメリカ時計師協会が発行した、「12万5000マイルに及ぶ鉄道の時間を管理した人」とボール氏を称える文書。彼はその後、自身の時計会社を設立。その会社は現在も存続しています。

この鉄道時計の精度と品質の基準は、今の基準から見てもかなり高いものでした。少なくとも5つの姿勢で精度調整を行い、一週間でプラスマイナス30秒以内の精度を備えていること。リュウズは12時位置で、時刻が読み取りやすいよう白い文字盤に黒いアラビア数字のインデックスであること。さらに秒単位の時刻調整が可能であること、など。そしてこの鉄道時計の分野で不動の名声を確立したのがアメリカの「ハミルトン」や「ウォルサム」でした。

日本でも全国に鉄道の路線が開通すると、より正確な時刻に基づいた列車の運行が要求され、それを実現するために「より高精度な時計」が必要になりました。路線が短いときは少なかった「乗り継ぎ」が増えて、列車の遅れがより深刻な問題になったからです。そこで明治期の私鉄・日本鉄道は1893年(明治26年)3月17目に 「時計貸与規定」というきまりを作って駅長や車掌や機関士たちに高精度の懐中時計を貸し出し、その携行を義務付けます。この懐中時計は当時の時計王国アメリカや、それに続くスイスから輸入されたものでした。

そして1906年(明治39年)3月31日に公布された「鉄道国有法」で多くの私鉄が国有化されたことをきっかけに、アメリカ製やスイス製の懐中時計に代わって1929年(昭和4年)、精工舎(現セイコーウオッチ)の懐中時計「セイコーシャ」が国有鉄道から公式に「国産初の鉄道時計」に指定されます。この懐中時計はこれ以降、駅長や車掌や機関士など鉄道に関わる人たちのシンボルになりました。


日本初の公式鉄道時計「セイコーシャ」(1929年)。東京・銀座の「セイコーミュージアム 銀座」に展示されています。

それから90年を超える年月が流れ、ムーブメントは機械式からクォーツ式に進化しましたが、現在も鉄道の運行に携わる人たちの多くが「文字盤が大きくて運転中でも時刻が読み取りやすい」という理由で、白い文字盤にアナログ数字のインデックスが付いた3針の懐中時計を愛用しています。今は腕時計の時代ですが「とにかく見やすい時計がほしい」という方は、この鉄道時計の伝統とスタイルを継承する懐中時計を使ってみてはどうでしょうか。


セイコー鉄道時計 SVBR003。クォーツ式で平均月差は±15秒。電池寿命は約10年