もっと知りたい時計の話 Vol.37

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

いつも持ち歩くものの中で、いちばん大事なものといえば、今はスマートフォンでしょう。ただ、スマートフォンにはひとつ、大きな弱点があります。それはディスプレイのガラスが割れやすいこと。多くの人が経験していると思いますが、床や地面に落としたり、硬くて尖ったものがディスプレイに当たったりすると、そこからヒビが入ってガラスが割れ、高額な費用がかかるディスプレイの交換が必要になります。

スマートフォンのディスプレイは、映像や文字を表示する液晶パネルの上に、タッチ操作を可能にするタッチデジタイザと呼ばれるシート、さらにその上にカバーガラスという3層構造になっています。そしてこのカバーガラスは「化学強化ガラス」と呼ばれるもの。製造する際に化学処理を加えることで、表面にある目に見えないほど小さな割れ目やすき間を埋め、ガラスがクモの巣状に一気に割れてしまうことがないように、また硬いものに触れても傷が付きにくいように表面の硬度を高めてあります。

それでも「落としても壊れない」というレベルまで頑丈にはできません。そのためスマートフォンをそのまま使っている人は少なく、ほとんどの人が専用の保護ケースに入れたり、ガラスの表面に透明な保護ガラスや保護シールを貼ったりするなどの対策をしています。でも「ガラスが割れる」というトラブルを完全に避けることはできません。また「ガラスが絶対に壊れないスマートフォン」も開発されていません。

ところが時計の世界には、床や地面に落としたくらいなら「絶対に壊れない」時計があります。1983年4月に第1号モデル「DW-5000C-1A」が発売され、今年2023年で誕生40周年を迎えたカシオの「G-SHOCK(ジーショック)」です。時計の世界にまったく新しい「タフ・ウォッチ」という新しいジャンルを確立しました。


時計を保護ケースに入れることはありませんが、スマートフォンにはケースと保護シールが欠かせません。右は初代モデルのスタイルを受け継ぐ最新モデル「5600 CAUTION YELLOW SERIES GW-B5600CY-1JF」。電波ソーラー&スマートフォンリンク機能を搭載。

G-SHOCKが登場する前まで、時計は「落としたら壊れる」のが常識でした。1970年代後半にクォーツ式の低価格モデルが登場するまで、時計は日常身に着けるアイテムの中でも大変高価なもの。そのため多くの人が「自分の時計」を手に入れることができたのは、時計が日常生活で必要になる中学生や高校生になってから。時計は特別で大切なアイテムで、自分の時計を手に入れると一歩大人に近づいた気がしてものすごく嬉しかったものです。

今や世界中で“G-SHOCKの父”として知られるカシオ計算機のシニアフェロー・伊部菊雄(いべ・きくお)さんが1981年、G-SHOCKの商品企画書を書いたきっかけは、そんな大切な時計が壊れてしまったことでした。カシオに入社してエンジニアとして働いていた20代半ば、高校の入学祝いに親から贈られた時計を着けて仕事をしていたとき、人とぶつかってベルトが切れて、床に落ちてバラバラに壊れてしまったのです。


2023年11月9日、アメリカ・ニューヨークで開催された「G−SHOCK誕生40周年イベント」でジャーナリストやファンに囲まれる“G-SHOCKの父”、伊部菊雄さん。

この個人的な経験から伊部さんは「落としても壊れない丈夫な時計」というアイデアを思いつきます。そしてその1行だけを書いた企画書から、G-SHOCKの開発は始まりました。世界中のだれもが当然のこととして疑わなかった、ふつうに受け入れていた「時計は落としたらすぐに壊れる精密機械だ」という“時計界の常識”をG-SHOCKは完全にひっくり返しました。これがG-SHOCKという時計の、他の時計にはない唯一無二の価値、特長であり魅力です。

G-SHOCKの開発で最大の難問は、どうすれば「落としても壊れない」を実現できるか、でした。商品化が決まってから、伊部さんたち開発スタッフは試行錯誤を続けます。そして最初に「時計全体を緩衝材で包めば良いのでは」と考えたそうです。


1981年に書かれたG-SHOCKの最初の企画書(左)。そして初期開発サンプルの模型(右)。

この問題の解決はまず「緩衝材で包んだ時計」を会社の3階の窓から約10メートル下の地面に落としてテストすることから始まりました。時計を包む緩衝材を増やしていくと、確かに時計は壊れなくなりました。でもまるでソフトボールのようなサイズに。この構造では製品化は不可能です。開発チームはこの構造を諦め、別の構造を模索します。そして最終的に開発陣はゴムなどの緩衝材を時計の内部に入れて外からの衝撃を吸収する「5段階衝撃吸収構造」にたどり着きます。


5段階衝撃吸収構造の仕組み。この基本構造をもとに現在はさまざまな衝撃吸収構造が開発されています。

でもこの構造だけでは、まだ問題は解決できませんでした。落下テストを繰り返すと、時計モジュール(クォーツ式ムーブメント)の中にある電子部品のひとつが壊れてしまう。その部品を強化すると、今度はこれまで大丈夫だった別の部品が壊れてしまう。そこで最終的にモジュールにかかる衝撃を「いちばん弱い部品」が壊れることで吸収することにします。しかし「5段階衝撃吸収構造」に加えて、時計モジュールにかかる衝撃をさらに減らす別の仕組みが必要でした。

でも、商品化のタイムリミットは刻々と迫っています。設計者として追い詰められた伊部さんは、製品化ができない場合、責任を取って会社を辞めることまで考えたそうです。このとき困り果てた伊部さんを救ったのは、会社の隣の公園で見た「ゴムまり」で遊ぶ小さな子の姿。その姿から伊部さんは、時計モジュールだけケースの中で浮かせて、かかった衝撃を逃がす「点接触の中空構造」を思い付きます。これでやっと問題は解決しました。

点接触の中空構造を採用した初代モデルの設計図の一部(左)。そして中空構造のイメージ図(右)。時計モジュールが緩衝材でケースの中に浮かせてある構造なのがわかります。

こうして1983年4月に予定通り第1号モデルが発売されたものの、日本国内での売上はいまひとつ。でもアメリカでG-SHOCKは、この年に放映された1本のTV-CMをきっかけにブレイクします。そのCMとは「アイスホッケーの選手がパック代わりにG-SHOCKをスティックでゴールに叩き込む。でも壊れない」という内容。このCMをきっかけにタフさが注目され、G-SHOCKを消防士や警察官など過酷な現場で働くひとたちが続々と購入。大ヒットしたハリウッド映画にも登場して一躍注目されます。そして1990年代に入るとアメリカのこのブームが「逆輸入」され、G-SHOCKは日本でも世界でも大ブレイクを果たします。特に1996年から97年にかけての、日本での人気は凄まじいものでした。

その後もG-SHOCKは1990年代、2000年代、2010年代と、休むことなく進化・発展を続けます。アナログモデル。ダイバーズモデル。センサー内蔵モデル。マッドレジストモデル。フルメタルモデル。アナログモデル。ソーラー駆動モデル。メタル&樹脂のハイブリッドモデル。電波ソーラーモデル。耐遠心重力&耐振動モデル。GPS&電波ソーラーモデル。水深計搭載ダイバーズ。スマートフォンリンクモデル。ソーラーアシストGPSナビゲーションモデル。エクササイズ&ヘルスケア機能搭載モデル…。ケース素材も樹脂、メタル(SS、チタン)、カーボンと時代に合わせて「革新」を積み重ねてきました。

そしてG-SHOCK誕生40周年を迎えた2023年末、カシオのG-SHOCKは、現地時間12月9日にニューヨークで開催される世界的な時計オークションにフルゴールドのユニークピース(1本のみの限定生産モデル)「G-D001」をチャリティー出品することを発表。このモデルで、これまでにない「新たな挑戦」に乗り出すことを宣言しました。

その「新たな挑戦」とは、G-SHOCKの基本コンセプト「アブソリュート(絶対的)タフネス」に、「時代を超えても変わらない、人の心をときめかせる贅沢さ」つまり「ラグジュアリー」をプラスした、時計愛好家が心をときめかせる高級機械式時計と同様の魅力を持つ「タフ・ラグジュアリーな」新世代G-SHOCKの開発です。


11月9日、ニューヨークのイベントに世界中から集まったジャーナリストや時計関係者(右)。そして次世代G-SHOCK「G-D001」を発表する伊部さん。

世界でただ1本だけの、フルゴールドでシースルーダイヤルのモデル「G-D001」に続く「タフ・ラグジュアリーなG-SHOCK」が、いつ製品として発売されるのか。現時点ではまだ発表されていません。でもいつ、どんなモデルが登場するのか。G-D001が素晴らしい仕上がりだけに、期待は高まるばかりです。