もっと知りたい時計の話 Vol.34

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

あなたは時計を使っていて、ある日突然に「時計がおかしな時刻を表示するようになった」経験はないでしょうか。そんなことが突然に起きたら、大ショックですよね。こうしたトラブルの原因はほとんどの場合、「時計の金属部品の磁化」が原因です。

「磁化」とは、強い磁気にさらされて金属が磁石になってしまうこと。多数の金属部品が連携して動く時計は、磁気に弱い精密機械です。特に機械式時計の中には、強い磁気にさらされると「磁石になりやすい」、バネや歯車などの金属部品がいくつもあります。そのため、強い磁力を放つ機器の近くに置かれると、部品が磁化して、精度が大きく劣化します。なかには、時計が止まってしまうこともあります。

なぜ部品が磁化すると問題が起きるのでしょうか。金属部品の中でも、いちばん磁気に弱いのが機械式時計の「てんぷ」。さらにその中の非常に薄い金属でできた「ひげぜんまい」と呼ばれる部品です。機械式時計はこのひげぜんまいが規則正しく一定の間隔で伸び縮みする、その周期を基準にして時を刻みます。

ところが、このひげぜんまいが磁化してしまうと、この伸び縮みの周期が乱れて、正確に「時を刻む」ことができなくなります。その結果、時計の時間精度が急に劣化する。つまり正常に動かなくなる。そして正しい時刻が表示できなくなります。

この「磁化」によるトラブルの特徴は前触れもなく「突然に起こる」ことです。昨日まで正確に動いていた時計の動きが突然おかしくなる。逆に言えば、突然のそんなトラブルは、ほとんどこの「磁化」が原因です。

スイスのある名門時計ブランドが10年ほど前に発表した、時計のメンテナンスサービスに関する資料では、サービスセンターに修理に持ち込まれる時計の6〜8割がこの「磁化」が原因だったそうです。しかもその件数は20年ほど前から急増しているといいます。

では時計の磁化によるトラブルの原因になる、時計の金属部品を磁化させる「強いレベルの磁気を放つ機器」とは、具体的にどんな機器のことでしょうか。またなぜ20年ほど前から、急に増えてしまったのでしょうか。

磁化の原因になる機器は、昔はリビングの主役、ブラウン管を使ったテレビやシステムステレオのスピーカーでした。昔はそんな強力な磁石を使った機器は、テレビやシステムステレオくらいしかなかったのです。そのため、ご年配の方なら中学生や高校生になって初めて時計を買ってもらったとき「テレビやステレオの近くに時計を置かないように」と注意されたことを憶えている方もいらっしゃるかと思います。

でも、今のテレビは液晶ディスプレイの超薄型化で時計を上に置くことなどできません。また、システムステレオのある家庭も限られていますから、今では主な原因になることもありません。ではいったいどんな機器がいま、時計の磁化の原因なのでしょうか。

それは私たちにいちばん身近なIT機器。具体的には、スマートフォンやタブレット、パソコン。また、それと一緒に使っているインイヤーフォンやヘッドフォンです。

こうしたIT機器には電磁石のような小さいけれど強い希土類磁石がいくつも内蔵されていて、いつも強力な磁力線を出しています。そのため、こうしたIT機器の上や近くに時計を置いたりすると、金属部品がその強い磁力線の影響で磁化してしまうのです。

しかも、今ではスマートフォンは大人から子どもまで、だれもが手放せない、時計以上に欠かせない必需品です。そしてワイヤレスイヤフォンやワイヤレスヘッドフォンは、スマートフォンには欠かせない周辺機器。また、今の生活では、オフィスはもちろん家庭でも、タブレットやパソコンのない生活など考えられません。

1990年代にIT(インフォメーション・テクノロジー ※C=コミュニケーションを含めて、ICTともいいます)革命が世界中で起きたこと。具体的には世界中の誰もが、スマートフォンをいつでもどこでも肌身放さず持ち歩くようになり、ペンと紙ではなくて、おもにタブレットやパソコンで仕事をするようになったこと。こうした生活の劇的な変化で、時計の「磁化による故障」が一気に増えてしまったのです。

そのため、多くの時計の説明書にはこの「磁化による故障」を防ぐための注意書きが書かれています。また機械式時計の中には、パイロットウォッチやエンジニア(技術者用)ウォッチのように、ケースを特別な構造にして、強い磁力線を発する大きな機械の中や近くで使っても、磁力線の影響を受けて金属部品が磁化しにくいように工夫したモデルもあります。さらに最近では、てんぷのひげぜんまいをはじめとして、金属部品の素材をシリコンのように磁化しないものにするなど、根本的な耐磁対策を施した機械式時計も増えています。

IT機器が原因で起きる時計の磁化を避けるためには、「何をどう注意すれば」、また、日々「何を心がければ」いいのでしょうか。それは、スマートフォンやタブレットPC、パソコンのそばに置かないこと、最低限の距離をとること、です。


では、具体的にどのくらいの距離をとる、IT機器と時計をどのくらい離せば良いのでしょうか。磁力線の強さは磁石からの距離の自乗に反比例します。つまり、わずか数センチでも離すことで、磁化の危険、可能性は激減します。

推奨される距離は、スマートフォンやタブレット、パソコンの場合は「最低5センチ」。これは近年多くの機械式時計の説明書に書かれている距離です。また、インイヤーヘッドフォンやヘッドフォンの場合は「最低1センチ」といわれています。


カバンやハンドバッグにこうしたIT機器と機械式時計を一緒に入れるときは、離れたポケットに入れるなど、この距離が取れるように注意したいもの。

でも、たとえあなたの大事な時計に「磁化」のトラブルが起きても心配はいりません。時計店や時計ブランドのサービスセンターには、「磁化してしまった時計」を元に戻す「脱磁器」あるいは「消磁器」と呼ばれる器械があります。機械式時計のマニアの中には、この器械を自身でお持ちの方もいるようです。

この器械を使って磁化してしまった時計に、「脱磁」あるいは「消磁」という処理を施すことで、時計はすぐに元に戻ります。ですから、もし自分の時計がこのトラブルに見舞われたら、まずは購入した時計店や時計ブランドのサービスセンターに連絡してこの処理をしてもらいましょう。ほかに問題がない限り、時計は元通りに動くようになります。

なお、JIS(日本産業規格)には、いつも磁気にさらされる環境でも安心して使える「第一種耐磁時計」「第2種耐磁時計」という規格があります。


日本産業規格が定める「耐磁時計」の規格。ここでも5cm、1cmが目安の距離になっています。