もっと知りたい時計の話 Vol.29

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

置き時計でも腕時計でも、あなたは機械式時計のメカニズムをじっくりご覧になったことがありますか? ご覧になったとき、どう思いましたか?「機械なのにまるで生き物のような」独特の存在感、クォーツ式にはない「特別な魅力」を感じたのではないでしょうか。今回は、ふだんは文字盤に隠されている機械式ムーブメントを可視化して、機械式時計という精密機械の魅力を前面に押し出したスケルトン時計の話です。

日本にヨーロッパから機械式時計が初めて伝わったのは今から500年近くも前の1550年。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルがキリスト教の領内での布教を許してもらうために山口を支配していた大名の大内義隆に、キリスト教の布教を願い出る際に献上した時計が最初とされています。 残念ながらその時計は現存していませんが「自鳴鐘」と記録されていることから、鐘の音で毎正時を知らせるソヌリ機能(もっと知りたい時計の話 Vol.15 参照)付きの置き時計だったと思われます。

それまで日本では時計といえば、公式には『日本書紀』に記述がある、後に天智天皇となる中大兄皇子が、遣唐使が中国から得た知識をもとに作らせた水時計(漏刻)が最初です。機械式時計が作られた記録はありません。

大内義隆とその家臣たちは、未知の国からやってきた宗教関係者から贈られたこの機械式の置き時計を初めて見たとき、とてつもないショックを受けたに違いありません。ケースの中で何十個もの金属製の小さな歯車やバネが連携して動き続け、時を鐘の音で知らせるその姿を観たとき、ただただ驚愕したはず。そして、この時計を持ってきたザビエルと彼が説くキリスト教、西洋の技術力に底なしの敬意と畏れを抱いたことでしょう。もしかしたらこの機械式時計の存在が、義隆がザビエルにキリスト教の布教を許可する大きなきっかけになったのかもしれません。

ところで、機械式時計はキリスト教の中から生まれた精密機械であることをご存知でしょうか? 13世紀に教会の塔時計としてまず誕生し、置き時計、そして携帯可能な小型時計へと進化した機械式時計は、実はキリスト教の世界観に基づいて、キリスト教の権威を高めるために生まれた精密機械なのです。

当時のローマ・カトリック教会はヨーロッパ文明の最高権威でした。そして機械式時計は、単に時刻を示すだけでなく、1日の昼夜や1年間の季節の移り変わりから天体の動きまで“神が定めたこの世界の法則”を人の手で再現する機械として生まれました。つまり機械式時計は教会が「神が定めたこの世界の法則」を誰よりも理解していること、唯一無二の絶対的な権威であることをアピールするための一種の宗教的な装置でもあったのです。


ヨーロッパでは、町の中心に教会とその時計塔があります。写真はスイス北部、ライン川を隔ててドイツと接するラウフェンブルクの教会とその時計塔。

14世紀から16世紀にかけてのルネサンスの時代に入ると、教会に設置されている機械式時計は大きく進化します。時計職人や数学者、芸術家たちがその技と叡智を結集して天文複雑機構を開発。“神が定めたこの世界の法則”のひとつ、夜空の天体の動きを再現した天文時計がヨーロッパ各国で競って製作され著名な教会に数多く設置されていきます。

たとえば1439年に完成し、17世紀から19世紀まで200年もの間、高さ142 メートルとキリスト教建造物の中で世界一の高さを誇ったゴシック建築の傑作、フランス・ストラスブールのストラスブール大聖堂(La Cathédrale Notre-Dame de Strasbourg)。この聖堂にも1574年から天文時計がありました。現在のものは1842年に完成したオートマタ付きのもので、世界最大級の天文時計として世界中から訪れた人たちを魅了し続けています。

スケルトン時計はこうした歴史的な背景から生まれた機械式時計のメカニズム、“機械の小宇宙”と讃えられるその緻密な構造や動作を、文字盤やメカニズムの土台である地板をシースルー化することで可視化した特別な時計です。スケルトン加工に加え、彫刻などの装飾加工を加えることで、スケルトン時計の魅力はさらに高まります。


「オーヴァーシーズ・エクストラフラット・パーペチュアルカレンダー・スケルトン」は、2100年までカレンダー修正不要なムーンフェイズ付きの永久カレンダー機構を搭載しながら、ケース厚がわずか8.1㎜という薄さが特長。

スケルトン時計の発明者はフランス・ルイ15世の王室時計師だったアンドレ=シャルル・カロン(1698~1775)。彼は1760年頃に史上始めてこの「精密機械の魅力をアピールした懐中時計」を製作しました。当時は「中世的なカトリック教会の教義に縛られず、思想、学問、社会を新しく生まれた学問の力で変えていこう」という考え方を持つ啓蒙専制君主がヨーロッパを支配していた時代です。

カロンの顧客だった王侯貴族はそんな啓蒙思想を持つ人々。彼らはメカニズムを可視化したスケルトン時計を、知的好奇心を満足させてくれるアイテムとして絶賛。これ以降スケルトン時計は時計の世界でひとつのジャンルとして確立されることになります。ただ当時の懐中時計は実用品ではなく、究極の贅沢品のひとつでした。

時は流れて20世紀。スケルトン時計が再び注目されたのは、1970年代のクォーツ時計の全盛期を経て、世界的な機械式時計ブームが起きた1990年代以降のこと。スイスの高級時計ブランドが“クォーツ式にはない特別な魅力を持つ時計”として、スケルトン時計を続々と製品化してからです。ただ、この時代のスケルトン時計は既存の機械式ムーブメントにエングレーバー(彫刻加工を行う職人)が手を加えた時計愛好家のための高額モデルのみでした。


スケルトン加工を職人の直感で行っていたかつてのスケルトンムーブメントとは違い、最新のスケルトンモデルとそのムーブメントは緻密な設計に基づいて製作され、ふつうの時計と変わらぬ強度や耐久性を備えています。

しかし2000年以降、スケルトン時計は大きく進化します。スケルトン時計としてゼロから設計して、独自の美しさ、デザイン性を追求したモデルを各社が競って開発。文字盤の一部をスケルトン化したハーフスケルトンモデルや、ムーブメントの“心臓”ともいえる高速で動くテンプ部分だけをスケルトン化した“オープンハート”モデルも登場。その結果、価格もデザインのバリエーションも飛躍的に増え、時計愛好家に限らず、あらゆる人が楽しめる機械式時計になったのです。さらにはクォーツ式のスケルトン時計も登場しました。

人類が何世紀もかけて生み出した精密機械の代表ともいえる機械式時計。その魅力を視覚で感じることができるスケルトン時計は、どんな時計よりも“時計らしい時計”のひとつ。身の回りのあらゆる機器がデジタル化されていく今こそ、ぜひ楽しんで頂きたい時計です。