もっと知りたい時計の話 Vol.23
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
朝が来て昼が来て夜が来て、そしてまた朝になる。月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日。そしてまた月曜日がやってくる。私たちはこの「繰り返す時」の中で生きています。古代より人々は「時間は繰り返し循環するもの」と信じてきました。
でも現代の私たちは、時間は不可逆的なもので、この世界はいつも過去から現在、そして未来へと決まった方向に移りゆくもの。過ぎてしまった時間は絶対に元には戻らない、同じ時間は二度とないということを「常識」として知っています。
歴史をひもとくと、この「時間の不可逆性」を指摘したのは「万有引力の発見」で知られる17世紀イギリスの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、そして神学者でもあったサー・アイザック・ニュートンとされています。その後、この「常識」はアルバート・アインシュタインの「時間の進み方は立場によって変化する」という相対性理論で、絶対的なものではないことが指摘されるのです。
そうは言っても、私たちがある意味では「時間は繰り返すもの」と考えているのもまた事実です。何しろ私たちは「朝、昼、夜、そしてまた朝」「月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日。そしてまた月曜日」というサイクルを意識し、活用して生活しているのですから。
時計の表示機構の中には、私たちのこの「時間が繰り返す」感覚にフィットしたものがあります。それが「retrograde(レトログラード)」式の表示機構です。針が時間の経過と共に左から右に少しずつ決められた分だけ動いて、右端に達したとき、ダイナミックなドラマが起こります。針が最初のいちばん左端の位置に一瞬で戻るのです。
英語の「retrograde」は「逆行する」という意味の動詞。またほかの言葉の頭にくっつく接頭詞として、「逆の」とか「さかのぼって」とか「後方に下がる」という意味を加える働きをします。一方、私たちが日常で使っている「レトロ」という言葉は、この仲間の「retrospective(レトロスペクティブ)」、日本語に訳すと「過去を振り返る」「過去に郷愁を感じる」という形容詞から生まれた外来語。「昔のもの」「昔風の」という意味で使われています。
その歴史はかなり古く、17世紀の後半には懐中時計などに使われていたようです。18世紀後半に入ると、史上最高の天才時計師アブラアン-ルイ・ブレゲがこの機構を自分の作品で日付や均時差表示に積極的に採り入れます。そのため、この機構をブレゲが発明したものだと言われたりもします。
この表示機構はなぜか、19世紀になるとあまり使われなくなります。おそらく、カムやレバーや戻しバネに高い品質や工作精度が必要とされる機構だからでしょう。ただし、ごく一部の特別なブランドだけがこの機構を採用していました。現在のように腕時計にレトログラード式の表示機構が広く使われるようになったのは1990年代以降です。
ヴァシュロン・コンスタンタンはレトログラード機構を最も得意とする時計メゾンのひとつ。これは1935年に注文を受け4年の年月をかけ1940年に納品された名作「リファレンス3620 “ドン・パンチョ”」(Ref. 3620)。コレクターが付けたこのニックネームは、この時計を注文した人物の名前に由来します。
では、その仕組みはどうなっているのでしょうか? レトログラード式の表示機構の多くは、カタツムリ型の「スネイルカム」と、そのカムに沿って動く「レバー車」、表示針が取り付けられた「針車」、そして「戻しバネ」を組み合わせた構図になっています。表示針は、カムとレバーの動きに従って針車が回転するので、時間が経つにつれて左から右に動いていきます。このとき、戻しバネにはエネルギーがだんだん蓄積されていきます。そして表示針がいちばん右の位置に来ると、そこでカムとレバーとの「噛み合わせ」がいったん外れ、戻しバネに蓄えられたエネルギーで針車が回転して、表示針が元のいちばん左の位置に一瞬で戻るのです。
右上にあるのがカタツムリ型のスネイルカムです(パトリモニー・レトログラード・デイ/デイトのムーブメントから)
表示針が右に向かってだんだん動いていき、いちばん右まで到達したとき戻しバネに蓄えられた力で表示針が一瞬でジャンプしてリセットされ、最初のいちばん左の位置に戻る、その時の針のダイナミックな動き。それが、レトログラード表示機構の面白さであり、素晴らしさなのです。
興味を持たれた方はぜひこの機構を備えた時計をご覧ください。