もっと知りたい時計の話 Vol.22
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
みなさんは「クロノメーター(chronometer)」という言葉を聞いたことがありますか? またその意味をご存知ですか? クロノグラフ(chronograph)なら聞いたことがある。でもクロノメーターは知らない。そんな方が多いのではないか、と思います。
クロノグラフの「クロノ(chrono)」とはギリシア語で「時、時間」を意味する言葉。そして「グラフ(graph)」は「記録するもの」を意味する言葉。つまりクロノグラフは「時=経過時間を記録する」ストップウォッチ。そして、この機能が付いた時計のことです。
一方、クロノメーターの「メーター(meter)」は、ラテン語の「メトリ(metri)」を語源とした「長さを測る」を意味する言葉。つまりクロノメーターは「時を正確に計測できるとても精度が高い時計」のことです。そして現代のクロノメーターは、公的な機関が行う厳しい精度テストに合格した、つまり高い精度が確認・保証されたムーブメントを搭載した時計のことを指しています。なお、この言葉を初めて使ったのは、イギリスの聖職者で科学者だったウィリアム・デラム(1657〜1735)だと言われています。
クロノメーターの原点である、「マリン(海洋)クロノメーター」と呼ばれる高精度の航海用時計がヨーロッパで誕生したのは今から約300年前の1700年代のこと。おもりが重力で下に落ちる力で動く大型の最初の機械式時計から約400年、人が携帯できるドラム型の機械式時計が開発されてからさらに約200年後のことです。
ではなぜこの時代に「マリンクロノメーター」が誕生したのでしょうか。それは「世界を支配するため」、つまり「海上での戦争に勝つため」でした。1492年にスペイン王国の支援を受けてコロンブスが大西洋を超えてアメリカ大陸を「発見」した頃から、ヨーロッパ各国は海を超えて新たな支配地域と富の獲得に競って乗り出します。いわゆる大航海時代の始まりです。この競争はやがて戦争に、具体的にはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスなどヨーロッパの強豪国が大艦隊を編成して行う海上での戦争へと発展します。そして当時の海上での戦争で、戦闘以上に深刻な問題だったのがナビゲーション、つまり自分たちの船の現在地がわからないという問題でした。
現代の船に搭載されているGPSシステムはGPS衛星から受信した電波の情報から、船の現在地を正確に表示してくれます。ところが、今の常識からは信じられない話ですが、当時の船乗りたちは自分たちの現在地がよくわからずに海に出ていました。なぜなら彼らには自分の現在地、その緯度と経度を正確に知る方法がまだなかったからです。そのため、海軍の軍人たちは敵以上に海難事故を怖れていました。実際、戦闘ではなく遭難で沈む船がとても多かったのです。
ではなぜ精度の高い時計が求められたのでしょうか。それは、現在地を推定するためには、精度の高い時計が必要だったからです。精度の高い時計があれば航海が安全に行える。だから他国より優位に立てる。そのためヨーロッパ各国の王室や議会は高精度な時計の開発を奨励しました。
なかでも有名なのが1714年にイギリス議会で成立した「経度法」と呼ばれる法律です。この法律は「高精度の時計を開発した者に1万ポンドから2万ポンドの賞金を与える」という内容。そしてこの法律が「マリンクロノメーター」に要求した精度は1日の進み遅れ(日差)が約2秒。これは現代の高精度な機械式時計と同じかそれ以上の高精度です。
そこで、イギリスの時計師や技術者たちは何十年もかけてこの難題に挑戦しました。そしてジョン・ハリソン(1693〜1776)が1760年に開発した「H4」でついにこの目標を達成。最終的に賞金2万ポンドを獲得します。
このマリンクロノメーターが示す正確な時間と天体と地平線の角度から、自分の船の現在地を計算して推定する「時辰儀経度法」が開発されたことで、航海の安全性は飛躍的に向上します。
なお、この航法は今も航海術の基本です。そのため、GPSナビゲーションシステムが小型のボートにまで普及した今も、高精度な時計は大型船の航海に不可欠なものですし、大型船を運行する航海士たちはこの航法を知っています。
他国に先駆けてイギリスで誕生したこの高精度なマリンクロノメーターが産業革命とともにイギリスを、19世紀半ばから20世紀初頭にかけての最盛期には世界の4分の1の地域と人口、世界の7つの海を支配する「大英帝国」にする上で大きな役割を果たしました。つまり高精度な時計が“世界の歴史を劇的に変えた”のです。
また、この頃から自国でマリンクロノメーターを開発・製造することは、世界への進出を考える国にとって、外洋航海に不可欠な精密機器を外国に頼るわけにはいかないという理由で、ぜひとも達成しなければならない目標になります。日本でも現在のセイコーウオッチの製造部門である第二精工舎(現セイコーインスツル(株))が欧米に匹敵する高精度のマリンクロノメーターを開発・製造・供給していました。
第二精工舎製のマリンクロノメーター(1942年製)。「経線儀」という名称で大型船の操舵室に設置されていたもの。最高日差±0.1秒という、機械式時計としては最高峰の精度を誇ります(セイコーミュージアム銀座蔵)。
現代の「クロノメーター」は、スイスクロノメーター検定協会(略称COSC)のような公的機関が行うムーブメントの精度テストに合格した時計のこと。合格していなければ「クロノメーター」と名乗ってはいけないことになっています。
スイスクロノメーター検定協会の(COSC)のトップページ(フランス語、英語、ドイツ語)。年間200万個以上のムーブメントのテストを行っています。
なお、COSCの「クロノメーター」時計の精度については、2023年2月15日に掲載した「vol.17 あなたの求める精度は、日差、月差、年差?」でご紹介しています。よろしければそちらもお読み頂ければ幸いです。