もっと知りたい時計の話 Vol.20
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
今回は「駅の時計」についてのお話です。今は、自分のスマートフォンの画面を見れば、いつでもどこでも秒単位まで正確な現在時刻をすぐに知ることができます。また、多くの公園や広場などの公共施設には「公共時計」が設置されているので、分単位の正確な時刻なら、町中ならすぐに知ることができます。
でも今から50年ほど前、今の60代から50代の人たちが生まれた1960年代から70年代、「正確な時刻」はとても貴重なものでした。公共時計の数もごくわずかで、特別な場所にしかありませんでした。それゆえに、腕時計は「時間を守るための道具」として誰にとっても必要なものでした。
しかし、当時の腕時計は精度の低い機械式で、今からは信じられない話ですが、進み遅れが1日に1分や2分もあったのです。だから毎日のように腕時計には「時刻合わせ」が必要でした。毎朝、お父さんは会社に出かける前に、毎正時に流れるテレビやラジオの時報の音を聞いて、自慢の腕時計の時刻を合わせるのが儀式になっていました。また電話で「117」をダイヤルすると聴くことができる「時報サービス」を利用するお父さんもいました。
そしてもうひとつ、お父さんたちが「時刻合わせ」の基準としていちばん身近で頼りにしていたもの。それが「駅の時計」でした。駅に付くと構内やホームに設置されている時計を見て、それと同じ時刻に自分の腕時計を合わせる。そんな人が多くいたのです。
駅の時計は電気モーターで動く電気時計で「親子時計」というシステムが採用されています。これは、精度の高い親時計が電気ケーブルで複数の子時計とつながっていて、30秒ごとに親時計から送られるパルス信号に合わせて分針が動いて、親時計と同じ時刻を表示する仕組みです。
JR中央・総武線、高円寺駅の親子時計。30秒ごとに分針が動きます。
この「親子時計」のシステムは1940年にイギリスで発明されたもので、日本に最初に導入されたのは1915年(大正15年)、東京駅が最初でした。当時、東京駅丸の内北口のすぐ前、千代田区丸の内1-6にあった鉄道省の建物に2台の親時計(1台はバックアップ用)と、30個の子時計につながる配電盤があり、ここから東京駅のホームや改札に設置されていたすべての時計を制御して、同じ時刻が表示されるようになっていたのです。これは当時最先端のシステムだったそうです。
そして親子時計システムを使った「駅の時計」は、全国の鉄道の駅に導入されていきます。また駅ばかりでなく学校などの公共施設にも導入が進み、広く使われるようになります。
「駅の時計」の時刻が信頼できる時計として広く認められ、頼りにされているのは日本ばかりでなく海外でも変わりません。スイス国鉄をはじめ世界各国の鉄道の駅でも、この親子時計システムを使った時計が導入され、広く使われています。
こうした「駅の時計」の文字盤のサイズは、大きなものでは直径60センチから70センチ。シンプルで視認性も抜群なので、このデザインをそのまま縮小して文字盤に使った腕時計も国内や海外で発売され、定番として人気を得ています。
だれもがスマートフォンの画面で秒まで正確な時刻をいつでも知ることができるようになった現在、わざわざ「駅の時計」で時刻を確認することもなくなり、「駅の時計」の重要性は昔よりも薄れてしまいました。
最新の駅時計は、列車案内と一体化したこのタイプ。(JR高円寺駅) 私鉄ではデジタル表示のものもあります。
そのため最近、乗降旅客数の少ない駅では、親子時計システムの「駅の時計」を、経年劣化の問題やメンテナンスコストの問題から撤去するところも出ています。このニュースは一時「駅から時計が消える」と誤解されたこともありました。 それでも、駅から時計が消えてしまうことはないでしょう。安全な定時運行はもちろん、乗客のためにも、駅には信頼できる時計が絶対に不可欠なのですから。