もっと知りたい時計の話 Vol.85
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史、時計が測る時間、この世界の時間などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
あなたはデジタル表示とアナログ(針)表示、どちらの時計が好きですか? そして、デジタル表示の時計を使っていますか?
デジタル(digital)はカタカナの外来語としてすっかり定着していますが、日本語に訳せば「数値の」「数字の」を意味する言葉。また技術の世界では連続的ではなく「飛び飛びの値、区切られた値=離散的な値」を意味します。デジタル表示の特徴はデータが数値化されている、つまり針とインデックスの位置や距離を読み取って判断する必要がなく、「シンプルでブレがない」数字になっていること。つまり「あいまいさ」がありません。
その起源は古代にまでさかのぼります。数を数えるときに人はむかし、手や足の指を使って数えていました。今でも子どもに数を教えるとき、まず指で数えることを教えますよね。「手の指」や「足の指」はラテン語で「digitus(ディギトゥス)」と言います。ここから英語の「digit(デジット)=数字」と、「数字の」を意味する形式名詞「digital」という言葉が生まれました。つまりデジタルの語源は人間の「指」なのです。
機械式時計の複雑機構のひとつで、文字盤上に設けられた四角や丸い窓から見える数字(回転する円盤に書かれた数字)により「時」を表示し、時刻が変わるときに、その数字がカシャリという音とともに一気に次の数字に変わる「ジャンピングアワー」機構。これもデジタル表示を使った時計です。ただメカニズムが複雑で作るのが難しく、デザイン上の制約も多いので、“時計愛好家のための特別なモデル”になっています。
デジタル表示の時計が誰でも手が届く手頃な価格のごく普通の時計になって広く使われるようになったのは1970年代以降、時計が電子化・クォーツ化されてからのこと。世界初のデジタル時計はアメリカの時計ブランド「ハミルトン」が1970年に発表し1972年4月に発売した「ハミルトン パルサーP1」でした。

1970年に発表されたプロトタイプモデルと(左&中央)と、1972年の発売時の雑誌広告(右)。見出しには「500年ぶりの全く新しい時間を知る方法…アメリカ合衆国で発明&製造」と書かれています。
クッション型のケースの中央に長方形のディスプレイがあるだけのシンプルなデザインは、当時のSF映画やドラマに登場する宇宙飛行士の装備品のよう。1969年8月のアポロ11号の「人類初の月着陸」に象徴される、“スペースエイジ”と呼ばれた当時の雰囲気にピッタリ。ケースとブレスレットはゴールド製で価格は2100ドル。ゴールドのロレックスを上回る超高額モデルでした。
時刻表示は常時表示ではなく、ボタンを押すと時間と分を示すLED(発光ダイオード)の赤い数字が1秒ほど点灯して消える。ボタンを長押しすると秒を示す赤い数字が点灯してすぐ消える。いわゆるオンデマンド方式でした。これは実はLEDの消費電力が大きく常時表示にできないための苦肉の策。でも、それが何ともカッコよく思えたものです。
しかし、LEDを使ったディスプレイは消費電力が大きく電池の持ちが悪い上に修理も難しく、そのためLEDのように自発光はできないものの、低消費電力で常時表示ができるLCD(液晶ディスプレイ)へと次第に置き換わって行きました。たとえば1973年にはセイコーが独自開発の液晶ディスプレイを使った常時表示方式で世界初の6桁液晶表示デジタル時計「クォーツLC V.F.A. 06LC」を、翌1974年にはカシオが世界初のオートカレンダーを搭載した、独自開発のLCDを使った常時表示のデジタル時計「カシオトロン QW02-10シリーズ」を発売し、他社も続々と追随します。
「ハミルトン パルサー」の当初の人気は本当に凄まじく、高額モデルにもかかわらず店頭では奪い合いの状態に。その圧倒的な人気に触発されて、電子機器、電子部品メーカーや家電メーカーが続々とこの市場に参入します。その結果、デジタル時計の価格はわずか数年で100分の1以下、20ドルから10ドル以下にまで下落しました。この背景には機械式ウォッチのムーブメントに相当する、LEDやLCDとIC(集積回路)で構成されるデジタル時計用モジュールの劇的な価格下落があります。

「ハミルトン パルサー」の誕生から50周年の2020年に復活した「PSR」の時計モジュール。時計用のLSI(大規模集積回路)とでディスプレイモジュールをシート状のコネクタでつないだ構造で、可動部分はありません。
電子部品の価格は量産化されると“量産効果”で劇的に下がります。しかも改良&進化も速く、すぐに陳腐化して値引き販売されるものです。当初数百ドルだったこのモジュールの価格は一気に数ドルになったのです。アナログ時計用のモジュールでも同様の価格下落が起きましたが、針を動かすモーターなど可動部分のないデジタル時計用モジュールはアナログ時計用よりもさらに量産効果が高く、より安価でした。これを購入して組み込むだけで誰でも正確な時計が作れる、そんな時代が到来したのです。その結果、1980年代に入るとデジタル時計は当時の流行語“軽薄短小”を体現した、軽くて薄くてコンパクトな、使い捨てしてもかまわないガジェット(気軽に購入できる面白い小物)になりました。「腕時計=その人のセンスや社会的地位を象徴する高級品」という神話はここで崩壊したのです。 しかし、その後、機械式時計は工芸品的な価値が見直され、この神話は復活することとなります。
あれから半世紀近くが経過した今、「ハミルトン パルサー」を筆頭に、当時は高級品で最先端の時計だった最初期のデジタルウォッチが再発見、再評価される時代がやってきました。復刻版やそのデザインを継承した時計が各社から続々と発売され、1970年代当時に若者だった世代には“スペースエイジ”を彷彿させる懐かしのアイテムとして、若い世代にとっては“レトロな雰囲気のファッションアイテム”として注目され、一種のリバイバル・ブームになっています。
懐かしいなと思った方、興味を持たれた方は、ぜひ店頭で手に取ってみてはどうでしょう。高級品として作られたモノだけが持つ堂々たる風格、デジタルだから実現できた斬新なデザインは、いま見ても新鮮です。