もっと知りたい時計の話 Vol.83

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史、時計が測る時間、この世界の時間などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

プロダクトデザインの世界では10年ほど前から1970年代〜80年代に作られた製品のデザインを引き継いだ“レトロなデザイン”が注目されています。1970年代といえば今から45年以上も前のこと。当時の製品もヴィンテージ、アンティーク市場でなければお目にかかれないものになってきています。

1970年代から80年代の日本車が「旧車」として、クルマ好きの若者の間で注目が高まっています。現在のクルマの多くは同じカテゴリーのものなら、パッと見ただけでは「どこの自動車ブランド」か、すぐにはわからないほど似ています。でも、「当時のクルマはひと目であのブランドのあのクルマだと分かる、どこか人の温もりのある“エモーショナルな(エモい=感性に訴える)”デザインのものばかり。だから惹かれる」と彼らは語ります。カルト的な人気なのもそんな理由からなのでしょう。

時計の世界でも1970年代に発売されたモデルのスタイル、テイストを継承したモデルが増えています。2010年前後に世界的なブームになった、そして今や時計ブランドには欠かせない定番コレクションとして定着した「ラグジュアリー・スポーツ(略称:ラグスポ)ウォッチ」と呼ばれるジャンルの時計も、そのひとつです。

ラグジュアリー・スポーツウォッチの特長は「ドレスウォッチのように薄型で着けやすく、しかもスポーティなデザイン」です。それまで、薄型ウォッチといえばドレスウォッチで、ドレスウォッチは非防水が常識でした。一方、スポーツウォッチはスポーツシーンに欠かせない防水性と頑丈さを確保するために、分厚いケースや風防が常識。この“時計業界の常識”に挑戦して生まれたのが、ラグジュアリー・スポーツウォッチです。


船の舷窓をモチーフにした丸みを帯びた8角形のケースサイズは41㎜(10〜4時位置)、ケース厚は8.2㎜。1976年のオリジナル・モデルと同様の2ピース構造のケースを採用。しかし、バックルや内部の構造は当時から大きく進化しています。

スポーツウォッチと同レベルの防水性を備えているので、スポーツシーンでも安心して着けられる。でも、ドレスシャツの袖に引っかからない超薄型で、デザインもシンプルで上品で、モーニングやタキシードを着用するフォーマルなシーンでは、ドレスウォッチとして腕元にラグジュアリーな輝きを与えてくれる。二律背反に思えたふたつの要素をひとつに融合させたデザインを生み出したのは、“20世紀最高の時計デザイナー”と称えられ、時計デザインの世界で天才ぶりを発揮したジェラルド・ジェンタ氏(1931〜2011)でした。


2001年4月3日のジュネーブで。カメラマンによる時計の撮影風景を好奇心たっぷりに見つめる生前のジェラルド・ジェンタ氏。©Yasuhito Shibuya 2025

顧客として想定されたのは、リゾートで優雅にバカンスを楽しむスポーツ好きのアクティブなセレブリティたち。彼らは、昼間はスポーツウエアでスポーツを、夜はドレッシーなパーティを楽しむ。ラグジュアリー・スポーツウォッチは、彼らのそんなリゾートライフを1本でカバーする時計として企画・開発されたのです。

フォーマルな装いにもフィットするように、ケースをドレスウォッチのように超薄型に。さらに素材を硬くて耐食性に優れて頑丈なステンレススチール(SS)に。スポーツウォッチ以外の高級時計にこの素材を使う。これ自体が常識への挑戦でした。

しかも裏蓋がない一体構造、あるいは裏蓋をねじ込み式にすることで、スポーツウォッチと同等の防水性を確保。加えてメタルブレスレットを、バックルに向かってひとコマずつサイズダウンする仕様にすることで、時計全体でドレスウォッチにふさわしい優雅なフォルムを実現しました。

ところが、1970年代後半から1980年代にかけて時計業界を席巻したクォーツ時計ブームで、その存在はしばらく忘れられてしまいます。再発見されたのは、スイスの機械式時計の復活とそのブームが拡大した1990年代後半以降のこと。2000年代に入ると、時計愛好家を中心に再評価が始まります。

そして「ラグジュアリー・スポーツウォッチ」と呼ばれて本格的にブレイクしたのは、このジャンルの原点と呼ばれる、やはりジェラルド・ジェンタがデザインしたモデルが40周年を迎えた2012年以降のことでした。その後、じわじわと高まる人気を受けて、1970年代当時のモデルを現代の技術でリニューアルした新世代モデルを各社が続々と製品化。いまではスポーツウォッチの中でも、もっとも人気のあるもののひとつになっています。

ジェラルド・ジェンタ氏がデザインし、1976年に発表され、現在も世界中のセレブリティから絶大な人気を得ているパテック フィリップの「ノーチラス」も、このジャンルの代表作のひとつ。現在はラグジュアリーの要素がより求められるようになったこともあり、コレクションは現在、ゴールドケースのモデルが中心になっています。


文字盤は中央から外側に向かって暗くなるブラックグラデーションの「ブルー・ソレイユ」文字盤。ムーブメントは自動巻きの「キャリバー26-330 S C/430」を搭載。もちろん宝石のように磨き上げられています。

冠婚葬祭のようなフォーマルなシーンから日常のビジネスシーン、さらに週末のオフタイムまであらゆる場面で着けられる。これほど現代のライフスタイルにフィットする時計は他にありません。そして“時代を超えたスタンダード”としてオススメしたい時計のひとつです。