もっと知りたい時計の話 Vol.69

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史、時計が測る時間、この世界の時間などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

あなたの愛用品に「炭素繊維(カーボンファイバー)」を使ったモノ」はありますか? 

たぶん何かひとつはお持ちかと思います。スキーやスノーボード、ゴルフクラブのシャフト。釣り竿、ラケット。自転車のフレーム。カメラの三脚。また、ノートパソコンの筐体、高級傘の骨組などでも使われるようになりました。そして「これからますます使われる」と予測されている分野もたくさんあります。時計もそのひとつ。まだ数は少ないですが、スポーツウォッチの文字盤やケースに使われる例が増えています。

炭素繊維はほとんど炭素(原子記号C)からできている繊維です。セーターなどにも使われるアクリル(ポリアクリロニトリル)繊維や、石油、石炭からとれるピッチなどを繊維にしてその後、特殊な熱処理をして作ります。炭素繊維協会の公式ページによれば「微細な黒鉛結晶構造をもつ繊維状の炭素物質」と定義されています。

ただ炭素繊維は単独で使われることは少なく、通常は樹脂・セラミックス・金属などの母材に混ぜて使います。つまり、私たちが使っているのは「カーボンコンポジット」とも呼ばれる炭素繊維複合材です。カーボンファイバーを母材と組み合わせるいちばんの理由は、重量あたりの強度(比強度)が他の素材と比べると「軽いのに強い」からです。

母材に炭素繊維を加えると、強度が劇的にアップします。しかも炭素繊維は銅よりも電気を通しやすく、電気伝導性に優れた素材でもあります。また熱を加えても膨張しにくく、しかも作り方次第では高温にも耐えられます。さらに金属のように水や薬品に侵食されて錆びたり弱くなったりすることもほとんどありません。また、一気に複雑なカタチに成形できるのも炭素繊維複合材の大きな魅力です。

今、いちばん使われている炭素繊維といえば、アクリル繊維を高温で処理して炭素化した「PAN系」と呼ばれる炭素繊維です。この分野で日本は、1970年代初めから世界をリードしてきました。そして現在、日本の炭素繊維生産は品質、生産量共に世界一です。

炭素繊維が実用化されてからすでに半世紀。冒頭でもご紹介したように、一般消費財でも広く使われるようになりました。そのため「軽くて強い素材といえばカーボンファイバー」というイメージが社会全体に広く定着しています。すでに“世界を変えた新素材”の代表として広く使われているため“新素材”と呼ぶことに違和感を感じるほどです。

でも、実は炭素繊維はいまも劇的に進化中の“もっと世界を変える新素材”なのです。日々世界中で激しい研究開発競争が行われていて、続々と新技術が誕生しています。目下、いちばん注目されているのが「グラフェン」。テレビや新聞などのメディアで、この言葉を目にした方もいらっしゃるでしょう。これも2004年に発見された炭素繊維関連の最先端素材で、広く実用化できれば、さらに「世界を変える」ことが期待されています。


グラフェン (graphene) は,炭素原子とその結合からできた蜂の巣のような六角形格子構造。世界でいちばん薄い炭素繊維の素材とされています(写真はWikipediaから)

炭素繊維が工業用の素材として最初に研究されたのは19世紀半ば。最初は電流を流すと光る白熱電球のフィラメントとして、でした。使ったのはアメリカの「発明王」トーマス=アルバ・・エジソン。世界中から素材を探して、最初期の電球に「京都の竹」を高温で炭にして使いました。つまり最初期のカーボンファイバー素材は天然素材に由来するものだったのです。

現在のような「軽くて強い素材」としての研究が始まったのはそれから約半世紀も後の1958年。アメリカ、ユニオンカーバイド社の技術者ロジャー・ベーコンが、炭素を研究中に、偶然にも世界で初めて、高性能石油系炭素繊維(グラファイトウィスカー)を作ったことがきっかけでした。1960年代に入ると、日本やイギリスの研究者たちの手で、実用化のための技術開発が加速します。そして前に述べたように、日本が研究開発や生産量でも世界をリードしてきました。

最初は“高価な材料”だったため、利用はロケットノズル、ミサイルノーズチップ、航空機の構造材など、航空宇宙関係に限られていました。1980年代に入ると、自働車レースの最高峰「F1(フォーミュラーワン)」などレーシングマシンのシャシーに使われ、その強さが一般の人にも知られるようになります。それまでの軽合金の複合素材より格段に軽くて頑丈なので、クラッシュしてもドライバーを守ってくれます。炭素繊維複合材の導入以降、自働車レースで不幸な死亡事故は激減しました。

旅客機の世界で炭素繊維複合材を多く使ったことで有名なのが、日本の全日空がローンチカスタマー(最初の大口の購入者で、開発にも深く関わる存在)を務めた、ボーイング社の中型旅客機「ボーイング787 ドリームライナー」です。それ以前の旅客機では、アルミニウム合金でできている胴体が湿気に弱いので、その劣化を防ぐため機内の空気はカラカラに除湿された状態でした。湿度に敏感な人には辛い環境だったのです。


全日本空輸(ANA)のボーイング787−8ドリームライナー (写真はWikipediaから)

でも「ボーイング787」からはその必要がなくなり、機内の湿度も大きく改善されました。筆者も、それまで長距離路線に乗るたびに感じていた「のどや鼻の痛み」が消えて感動しました。これ以降、旅客機の機体は炭素繊維複合材が常識になって、機内で心地良く過ごせるようになりました。

時計の世界でも2000年以降、炭素繊維複合材を使ったスポーツウォッチが続々と誕生しました。最初は高価でしたが、最近では、お手頃価格の腕時計でも採用した製品が出てきました。まだ炭素繊維(カーボンファイバー)を素材に使った時計に触れたことがないという方は、ぜひ一度、店頭で腕に乗せてみてはどうでしょう。その軽さにきっとびっくりされると思います。