もっと知りたい時計の話 Vol.56

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

今回も、前回に引き続き「声の時計」、電話の時報サービスの話です。今回はその歴史を振り返りながら、このサービスがどんな社会現象を興したかをご紹介します。 そもそも電話による「声の時計」サービスは、いつどこの国で始まったのでしょうか。また、誰の声で始まったのでしょうか。日本で自動化されたサービスとして始まったのは1955年6月10日の「時の記念日」から。実は、自動化される前は何と、このサービスをリクエストしてきた人に電話交換手さんが時計を見てその都度、答えていたのです。

イギリスの科学史家のデイヴィッド・ルーニー氏が書いた『世界を変えた12の時計 時間と人間の1万年史』 東郷えりか訳(2022年河出書房新社刊)という、古代から現代の時計を取り上げた本。その第10章「アイデンティティ一九三五年、ロンドン、黄金の電話機」(p261〜290)の中で、この「声の時計」について書かれています。現在の「117番」のような、自動化された「声の時報サービス」が始まったのは1930年代。世界で最初にこのサービスを始めたのはフランスのパリ天文台でした。時刻を告げる「声の主」は、当時のパリで人気のラジオタレント、マルセル・ラポルトさんという男性。そして翌1934年にはオランダでもこのサービスがスタートします。こちらの声の主は女性で、職業は何と学校の先生でした。


『世界を変えた12の時計 時間と人間の1万年史』デイヴィッド・ルーニー 著、東郷 えりか 訳。

さらにその翌々年の1936年にはイギリス郵政省が「スピーキング・クロック」という名称でこの時報サービスを始めます。では、こちらの声の主はどんな人だったのでしょうか。彼女の名はエセル・ジーン・ケイン(Ethel Jane Cain )さん。当時26歳の女性でした。

彼女は電話交換手で、この仕事をしていた1万5000人の独身女性を集めて前年1935年に行われた「黄金の声コンテスト」でたったひとりだけ選ばれた「ゴールデン・ボイス・ガール」でした。当時の新聞や雑誌には、彼女の写真や記事が「黄金の声を持つ女性」として何度も掲載され、彼女はイギリス国民ならだれもがその名と顔を知る有名人に。そして彼女はその後、女優に転身して映画や舞台でも活躍します。

彼女の声は当時のトーキー映画と同じように光学的にディスクに記録され、電話を掛けると彼女の声が自動的に流れる仕組みでした。その機械は今も、イギリスの博物館「Museum of Timekeeping」(計時博物館)に保存されています。


この博物館はイギリスのロンドンの北、高速道路で3時間半ほどのノッティンガムの北のアプトン村にあります。開館日は毎週金曜日のみ。

https://www.museumoftimekeeping.org.uk/

ところで、イギリス郵政省は「声の時計」サービスを始めるために、なぜ何ヶ月もかけて大掛かりな「黄金の声」コンテストを開催したのでしょうか? この本には、当時の新聞や雑誌を調べた著者の手で、自身の推測も織り交ぜて、当時の事情が詳細に書かれています。

GPS衛星電波時計や標準電波時計、インターネットがまだ存在しなかったこの時代。「声の時計」サービスが、正確な時刻を共有し、経済や社会、国民生活を安全で快適にするために欠かせない、とても大切な社会インフラであることは、前回のこのコラムでも述べた通りです。

しかし著者のルーニー氏は、「黄金の声コンテスト」の開催にはもうひとつの、隠された大きな目的があったからだと指摘します。それは、このサービスをきっかけにして、なかなか普及しなかった電話を一気に普及させること。つまり電話の契約者を増やすことでした。コンテストは実は、そのためのメディアを巻き込んだ大掛かりな仕掛けだった、というのです。

イギリスで電話サービスが始まったのは1879年とされています。しかし当時は契約料も通話料も高く、一般の人にとっては「高嶺の花」でした。

1960年代以前に生まれた人なら「家に電話がある」ことが、ステイタスだった時代を憶えているかもしれません。1980年代まで、日本で固定電話を持つためには、電電公社(現NTTグループ)から「電話加入権(施設設置負担金)」を購入することが必須条件でした。電電公社はこのお金で電柱や電話線、電話局の交換機などの機器を調達、整備、保全していました。筆者も1980年代、社会人になってひとり暮らしを始めたとき、この負担金を払って固定電話に加入しました。しかし1997年以降、固定電話はこの加入権なしでも加入できるようになります。1994年に携帯電話の個人所有が解禁されて、今度は「携帯電話を持っている」ことがステイタスになったのです。そして、昔ながらの電話回線を使った固定電話が廃止された現在、この加入権は事実上、無価値になっています。

話を1930 年代のイギリスに戻しましょう。1936年7月24日にエセル・ケインさんの「声の時計」がスタートすると、イギリス郵政省の狙い通りの、ひとつの社会現象が起こりました。時刻を知るためというより「彼女の声を聴く」ために、「TIM」の3文字をダイヤルしてこのサービスを利用する男性が急増したのです。そして、当時のイギリス郵政省の期待通り、電話の契約者も急増しました。今風に言えば、彼女は電話を掛ければいつでも誰でも24時間どこでも声が聴ける一種の「アイドル」、電話の「最強のキャンペーンガール」になって、その普及に大きく貢献したのです。

写真や雑誌に何度もその写真やプロフィール、インタビューが掲載されたことで、電話を掛けた当時の男たちは、彼女の姿を思い浮かべながら、時刻を告げる彼女の声を、まるでアイドルの声のように、また若い独身女性とデートしているような気持ちで聴いていたのだろうと、著者のルーニー氏は書いています。

つまり、彼女は電話という新しいメディアが生み出した「世界最初の電話アイドル」でした。彼女は現代の「声優アイドル」、雑誌のグラビアにも登場して声だけでなくビジュアルでもファンを魅了する彼女たちの「先駆け」だったのです。そんな社会現象まで生み出した、1万5000人の中から選ばれたという彼女はどんな声をしていたのでしょうか。

実は「Museum of Timekeeping」はこの「声の時計」についての動画コンテンツを制作&公開していて、1996年までご存命だった彼女の顔写真や声にアクセスすることができます。ご興味のある方は以下のリンクからお聴きになってはいかがでしょうか。