もっと知りたい時計の話 Vol.49
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
みなさんは「独立時計師」という人たちを知っていますか? どこの時計会社にも所属せず、独立した個人として、自分の名前で独自の時計作りを続けている時計師のことです。彼らがいなければ、1980年代に始まったスイス機械式時計の復興。さらに1990年代から現在まで続く高級時計ブームは起きることはなかったでしょう。
彼らの存在が本格的に注目されたのは1985年、スイスのル・ロックルにある時計博物館(シャトー・デ・モン)で「Contemporary Horologcal Artists Exibit」(現代の時計芸術家展覧会)という展示会が開催されてからです。この展示会を開催したのは、その前年の1984年、スヴェン・アンデルセン(1942〜)とヴィンセント・カラブレーゼ(1944〜)というふたりの時計師が呼びかけて作った、時計師たちのコミュニティです。
AHCIの出発点ともいえる、フランスの時計雑誌に掲載された1985年にル・ロックルで開催された「時計芸術家展」の告知記事(左)。AHCIの創設者スヴェン・アンデルセン(中)とヴィンセント・カラブレーゼ(右)※いずれもAHCIの公式ウエブページより
当時スイスの時計業界は、価格が安いのに優れた精度のクォーツ式時計の登場という、いわゆる「クォーツ革命」への対応が遅れ、多くの時計ブランドが存亡の危機に見舞われ、業界再編の嵐が吹き荒れていました。
「このままでは、時計会社の再編の波の中で、これまで何世紀にも渡って伝承されてきたスイスの時計作りの伝統と技術が失われてしまう。それを阻止するためにも、伝統を継承しながら、手仕事による創造的な時計作りを未来に継承するためにも、その極みを追求してきた自分たちの発見、発明、芸術的な時計作りの価値を改めて自分たちで発信しなければ」
そう考えた彼らはこの年、独立時計師アカデミー(Académie horlogère des créateurs indépendants:略称AHCI)を立ち上げ、大きな時計ブランドの中ではできない、自分たちの創造的な時計作りとその成果を自らの手で世界に発信することにしたのです。時計師として最高峰の技術を持つ彼らは大手の時計ブランドから委託を受けてその複雑時計の開発・製作を請け負うなど“時計業界のトップクリエーター&アーティスト”としての実力を知られていました。ただ残念なことにあくまで“黒子”的な存在だったのです。
そんな彼らの存在は1987年、スイスのバーゼルで開催されていた世界最大の時計宝飾見本市「バーゼル87(後のバーゼルワールド、通称バーゼルフェア)」の出展で、世界中から集まった時計関係者の間で広く知られることになります。以後バーゼルフェアのAHCI、通称アカデミーのブースには、芸術的な複雑時計を愛する人々がひっきりなしに訪れるようになります。
2001年、世界最大の時計宝飾フェア「バーゼルワールド」のAHCIブース
そんな彼らの中からは、資金を集めて自分の名前を冠した時計ブランドを立ち上げるなど、時計界のスターが数多く生まれました。皆さんもきっとその名をご存知かと思います。さらに彼らの才能と技術、その作品は大手の時計ブランドにも高く評価され、時計ブランドが積極的に複雑時計の開発・発売に取り組むきっかけにもなりました。
かつて“黒子”的な存在だった独立時計師たちは、1990年代の機械式時計ブーム、その後現在まで続く高級時計ブームをリードする、時計業界にとって欠かせないクリエーター集団として認められました。そして彼らの活躍と作品を知って、独自の時計作りに挑戦する人たちも数多く現れました。
現在、AHCIには世界16カ国から集まった32名の正会員と、6人の準会員、18人の元会員が登録されています。(正会員の中には3人の日本人もいます)そして彼らは芸術的な時計作りの未来を担うアーティストとして、活動を続けています。毎年春に開催される、ウォッチズ・ワンダーズ・ジュネーブの開催期間中には、ジュネーブ市内で作品展示会も開催しています。
あなたが時計好き、なかでも芸術的な複雑時計に興味があるという方は、ぜひ公式ウェブページで彼らのプロフィールやその作品をチェックしてみてはどうでしょう。他のどこにもない独創的な時計にきっと魅了されるはずです。
公式ウェブページ=AHCI公式ウェブページ(https://www.ahci.ch/)
AHCIの正会員で会長も務めたコンスタンチン・チャイキン氏。時計師であると同時に、時計技術者として60を超える特許を保有しています。(バックに映る時計はチャイキン氏の作品の一例)