もっと知りたい時計の話 Vol.42

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

今では時計といえば腕時計のこと。でも今から400年以上も前、16世紀に始まる“携帯できる時計”の歴史を考えれば、腕時計はまだまだ“新しいもの”といえます。女性のために装飾品として製作されたブレスレットタイプの時計を例外にすれば、腕時計が大量に製造されて普及したのは今から100年ほど前の1930年代以降のこと。それまでは、時計といえば懐中時計のことでした。

懐中時計とは“懐中”つまり懐の中に収めるという名前のとおり、腕に着けるのではなく、落下防止の鎖や紐を付け、ベストやズボンに設けられた専用の「ウォッチポケット」に収納して、時刻を知りたいときにだけ取り出して使うのが一般的なのです。

日本では第二次世界大戦後の1950年代以降、腕時計の国内生産が本格化して、懐中時計は鉄道時計、女性の和装用など特別なもの以外、ほとんど使われなくなりました。そのため、若い世代の方々の中には、懐中時計を見たことがない人もいらっしゃると思います。 しかし、時計コレクターの間では、19世紀にスイスから中国の清に輸出された豪華なエナメル装飾や細工がケースに施された芸術的な懐中時計や、当時世界最高峰の造りと精度を誇っていたアメリカ製の鉄道用の懐中時計のアンティークウォッチが一部で根強い人気を誇っています。

上写真の時計は筆者の私物

現在販売されているシンプルな懐中時計のケースサイズは、女性用の小さなものもありますが、手の平にぴったり収まる直径5cm前後でケースの厚さは10㎜前後のものが一般的です。

そして、名門時計ブランドが作る最新の懐中時計は、いくつもの複雑機構を搭載した超複雑時計や、昔のように凝ったエナメル装飾を施したアートウォッチとして限定製作されるものがほとんどです。また、機能的にはシンプルでも、文字盤をスケルトンにして中の機械式ムーブメントの動きが楽しめるようにしたものや、超薄型のものもあります。

店頭ではあまり見かけない懐中時計ですが、かつて1970年代から80年代にかけてファッションアイテムとして脚光を浴びたことがあります。当時、お洒落好きの大人の男性たちの間でジャケットにベスト、トラウザースで構成されるブリティッシュ・トラッドスタイルの3ピーススーツが流行しました。そのとき、このスタイルにぜひ組み合わせたいアイテムとして懐中時計が“再発見”され、比較的お手頃な価格でシンプルな懐中時計も一部の時計ブランドから発売されています。

なお、この3ピーススーツのルーツとされるのが、イングランド王・チャールズ2世が1666年に側近と着用した「ベスト」を採り入れた衣装です。チャールズ2世は「国王は君臨すれども統治せず」という、現在のイギリスの立憲君主制の成立のきっかけとなった有名な王様でした。そしてこの衣装は、疫病ペストの大流行とロンドンの大火で失墜していた自身の権威を取り戻すために行った「衣服改革宣言」の結果、登場したものだったそうです。

ただこのとき、チャールズ2世のベストに懐中時計が入っていたのかはわかりません。その100年後、18世紀の後半に起きた産業革命を経て19世紀半ばになると、「世界の工場」となったイギリスに上流階級と労働者階級の間に位置する、経済力のある中産階級が誕生。彼らのためにさまざまな商品が大量に生産され、消費されるようになります。現代につながる「大衆消費文化」が成立したのです。そして懐中時計も、劇的に発展した鉄道の安全運行に不可欠な道具であると同時に、中産階級にとって紳士のステイタスを表す人気アイテムのひとつになっていきます。ですから、この時代から腕時計が普及する前の20世紀初頭の時代を描いた小説や映画には、当然のことですが懐中時計がよく登場します。

では「時計といえば腕時計」といういま、懐中時計にはどんな魅力があるのでしょうか。それは時計としてはもちろんのこと、ファッションアイテムとしての新鮮さです。

3ピースのブリティッシュ・スーツとの相性が抜群なのはもちろんですが、ジャケット&パンツスタイルのようなビジネスカジュアルや、デイリーカジュアルなスタイルのアイテムとしてもその存在感は抜群です。また男女を問わず、着物には昔から懐中時計を合わせるのが一般的。つまりどんなスタイルにもフィットします。



また、懐中時計はチェーンや紐などと組み合わせて使うもの。そのため、組み合わせるチェーンや紐を変えるという楽しみもあります。

またケースのサイズが大きいだけに文字盤のインデックスも針も大きいので、腕時計よりもずっと視認性が優れています。ですから、現在使っている腕時計の文字盤が読みにくいと感じている人は、懐中時計を手に入れて使ってみてはどうでしょう。