もっと知りたい時計の話 Vol.41
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
皆さんはふだん「時差」を意識することがありますか? 日本では、大手企業の為替ディーラーやトレーダー、バイヤーのように国内外の市場動向を常にチェックしている人や、海外の企業や人と日常的にコミュニケーションしている人、海外旅行をしている人以外、ふだん「時差」を意識することはあまりないと思います。
その理由は日本には国内に「時差」がないから。私たちは全国のどの場所でもただ1つの時刻、日本列島のほぼ中央を通る経線、兵庫県明石市の東経135度の子午線を基準として決められ、現在では東京都小平市にある国立研究開発法人「情報通信研究機構」にある原子時計などを使って正確に定義された日本標準時(JST=Japanese Standard Time)だけを使っているからです。
国立研究開発法人「情報通信研究機構」の「日本標準時」のウェブページ。協定世界時(UTC)も表示。PCの内蔵時計の遅れも教えてくれます。
そのため、北海道でも沖縄でも、沖ノ鳥島のような遠く離れた諸島部でも、日本の時刻はどこでもまったく同じ。現在時刻は「日本標準時」ひとつしかありません。だから「時差」を考える必要がないのです。
そしてこの日本標準時の歴史は、明治19年(1886年)7月13日に明治天皇が公布した勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」に始まります。
勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」の公文書(国立公文書館蔵)
世界各地の時刻は冒頭に載せた地図のように、世界を緯度15度ごとに「1時間の時差がある24のタイムゾーン」に分割して、それに基づいて世界各国の時刻を定義する「時差システム」に基づいて定義されています。この時差システムはカナダの鉄道技術者だったサンドフォード・フレミング卿によって考案され、1884年にアメリカ・ワシントンで開催された国際子午線会議で採択されました。それ以降、世界中で利用されています。 そして採択から2年後の1886年に、日本も海外各国にならってこの時差システムを導入したのです。
フレミング卿がこの時差システムを考案した理由。それは鉄道の運行時刻を統一し、運行の安全を確保するためでした。今では信じられないことですが、このシステム導入以前のアメリカ、カナダの鉄道は、各地でバラバラの時刻を使っていました。そのため、Aという都市から出発した長距離列車がBの都市に何時何分に到着するかという時刻すら、当時は不明確だったのです。
この時差システムの導入で、私たちは世界中のあらゆる場所の現在時刻が簡単に計算できるようになりました。自分たちが今いる場所と知りたい場所の「時差」を確認。自分たちの現在時刻にこの時差をプラスすることで、知りたい場所の現在時刻がすぐにわかるようになりました。たとえばイギリス・ロンドンと東京の時差は通常はマイナス9時間。だから、東京が夕方の18時だと、ロンドンの現在時刻は、そこから時差マイナス9時間を加えた、朝の9時になります。
ところで、世界にはひとつの国なのにその中に「時差」があって、地域ごとに現在時刻が違う、「公式の時刻=標準時」がいくつもある国が存在します。なかでも標準時がいくつもあることで知られているのがアメリカ合衆国です。
東部標準時 (EST):西経75度〜西経85度/GMT-5/シカゴ
中部標準時 (CST):西経85度〜西経90度/GMT-6/デンバー
山岳部標準時 (MST):西経90度〜西経105度/GMT-7/フェニックス
太平洋標準時 (PST):西経105度 - 西経120度/GMT-8/ロサンゼルス
アラスカ標準時 (AKST):西経135度 - 西経145度/GMT-9/アンカレッジ
ハワイ・アリューシャン標準時 (HAST):西経150度 - 西経165度/GMT-10/ホノルル
アメリカにはこのように全部で6つ(ハワイとアリューシャンを分けると7つ)の標準時があって、それぞれに時差があります。
アメリカ合衆国政府のNATIONAL INSTITUTE OF STANDARDS AND TECHNOLOGYが、アメリカ各地の現在時刻を表示するウエブページ「OFFICIAL U.S. TIME」。同じ州内でも違うタイムゾーンの地域があります。
その理由はアメリカ合衆国が南北に加えて、西経67度から西経172度まで、その範囲が約105度と東西にとても広いこと。そして6つもの「標準時」が存在すること。そのため、国内旅行でも「時差ボケ」の問題に直面するほどです。それだけでも、アメリカ合衆国がいかに大きな国かがわかりますね。
ところで、南北に広い国土を持つ日本は、実は緯度が諸島部を含めると東経122度から154度と、東西にもかなり広い範囲にある国。そのため、かつて「時差」のある国だったときがありました。1895年(明治28年)の勅令改正で、東経135度を基準にした現在の日本標準時に当たる「中央標準時」に加えて、沖縄の八重山列島・宮古列島などのある東経120度を基準にした時刻の条文が付け加えられ、時差1時間の「西部標準時」が誕生したのです。
ただこの「西部標準時」の条文は、1937年(昭和12年)に削除され、日本の標準時は現在と同じ1つの状態に戻ります。つまりこの41年間だけ、日本は「時差のある国」だったのです。これも日本の「時」に関する興味深いトリビアのひとつですね。